神戸学院大学の大学生にカンボジアについてのプレゼンテーション

2013年12日5日に私は水本先生の担当である地域学演習Aの授業で私の母国であるカンボジアのことについて、2回目のプレゼンテーションをさせていただきました。

私が話をする前に、大学生たちにカンボジアに対するイメージを聞きました。カンボジアは貧しい国、学校に行きたくても行けない子供たちがいっぱい居る国、地雷、等々というイメージを持っている学生が多かったことがわかりました。一方、その中で、世界遺産であるアンコールワットが位置している国だと知られています。

今回のプレゼンテーションはカンボジアの歴史を大きく変化させたポルポト政権の時代、そのなかでも、教育分野を中心としてお話をさせていただきました。そし て、最後のプレゼンテーションはカンボジア人がどのように生活をしているのかを少し紹介して、プレゼンテーションを終わらせていただきました。

では、ポルポト政権はどんな時代なのか、ご存知な方がたくさんいると思います。私はその時代に生まれていたわけでもないので、私が学んできたのと、私の両親から聞いた話から伝えたいと思います。

ポルポト政権は1975年4月17日にカンボジアを支配しました。支配した数日後、2百万人のカンボジア人が都会から追い出され、農業をさせるために田舎へ移されたと言われています。貧富のない、搾取のない、さらに無階級社会に変えるため、都会に住んでいる人たちを田舎へ移すのが目的でした。お金、フリーマーケット、学校、私有財産、外国風の服装、宗教の信仰の自由も無くされました。校舎、大学、お寺、教会、政府の建物などは刑務所、再教育収容所に変わりました。例えば、Toul Sleng虐殺犯罪博物館。ポルポト政権が終わってから現在まで、虐殺犯罪博物館として使われていますが、昔は高校だったそうです。ちなみに、再教育という言葉を聴くとき、みなさんはどう思いますか?

学校に行かせる、あるいは現代の話と言えば、研修・トレーニングを受けさせると思ってしまうかもしれません。実は、あの時代で○○さんは再教育させられていると言われたら、何かの疑いで殺されるという意味をさしていたようです。

ポルポト政権は1975年に始まり、1979年まで続きました。その3年8ヶ月間はカンボジア国民にとって壁のない刑務所にいたと呼ばれています。国全体 は刑務所のようになりました。涙、苦しみ、不公平、悲劇、血だらけの生活でした。一日に12時間以上働かされて、食事はお米がほんの少ししか入っていない、水がほとんどのようなおかゆだけでした。私の両親の話によると、あのときの一日一日が長かったと。働く時間が長いのに、食糧が足りなかったと。さらに、ポルポトがあったため、学校に行けなくなってしまって、今でも後悔していますと言っています。さらに、精神的に多くの人々の心にいやなこととして残されています。

ポルポトの時代はカンボジアの歴史から取り消すことができないのですが、あの時代にもう一度ならないために、まずは教育が重要だと思っています。

現在、ポルポト政権にかかわっている人たちの裁判が行われているのですが、公平な裁きは、まだ遠い存在の恐れがあります。なぜなれば、裁かれている人たちは日々年を取っているにもかかわらず、裁判するのに大変な時間をかけすぎています。一日でも早く裁判が進行するように祈っています。

(文章: コン エン)