カンボジア基礎知識

カンボジアの国旗

カンボジアの国旗

面 積: 18.1万km2(日本の約1/2弱)
人 口: 1,470万人(2013年)
首 都: プノンペン
民 族: カンボジア人(クメール人)
言 語: クメール語 (Khmer)
宗 教: 仏教(一部少数民族はイスラム教)
通 貨: カンボジアリエルとUSドル
気 候: 乾季と雨季 (詳細あり)

■ カンボジアの気候

カンボジアでは、熱帯モンスーン気候に属し、一年は大きく雨季と乾季の二つの季節に分かれている。乾季はさらに、涼季(11月上旬~1月下旬)と暑季(2月上旬~5月中旬)の二つの時期に分けて認識されている。

雨季は5月下旬~10月下旬にかけてである。5月下旬になり、毎日ほぼ定刻に強い雨が降り始めると、本格的な雨季がやって来る。しかし、雨季だからといって、一日中雨が降っているわけではない。雨季の後半になると、雨量も多くなり、雨の降る時刻も不規則になるが、おおむね明け方や夕刻以降に降ることが多い。

カンボジアの気候は、年間を通して高温多湿である。年間平均気温は27,6℃で、一年中で雨季直前の4月が最も暑い。

■ カンボジア人の宗教

カンボジアには現在、クメール人をはじめとして、華人(華僑)、ベトナム人、チャム族、山岳少数民族などが居住している。その中でも、総人口の約9割を占めるクメール人の大半が信仰している宗教は上座仏教である。

15世紀以降、シャム(タイ国の旧称)の政治的影響が強まるにつれて、カンボジアではタイ経由で上座仏教が受容した。以後、上座仏教はクメール民族の宗教となり、カンボジア社会の伝統的な特色となる。

しかし、ポル・ポト政権(クメール・ルージュ)により知識人(政治家、教師、僧侶など)の約9割が虐殺され、従来の生活習慣、社会制度、行政組織、経済活動、都市生活、学校教育などを一切禁止された。特に、すべての宗教活動を禁止したばかりでなく、多数の仏教寺院やモスクを破壊し、多くの僧侶が虐殺されたために、農民は精神的に打撃を受けた。
ポル・ポト時代が終わると、仏教は復活され、現在でもクメール人の大部分は上座仏教を信仰している。

クメール人にとって重要なことは「輪廻」の思想であり、積善行の概念である。現世での彼らの身分は、前世での行いに由来すると考えられているために、現時点では変えようがない。そこで人々は、来世でのよい身分への生まれ変わりを期待して、功徳を積もうとするのである。クメール人にとって、様々な善行の中でも、寺院への寄進が現世における最も重要な功徳とされている。

■ カンボジアの治安

カンボジアを旅行するにあたって、最も気を付けなければならないのが治安状況である。内戦が終結し、復興の途中であるカンボジアでは、外国人旅行者の数も年々増え続けています。それに伴い、外国人を狙った強盗やレイプ、誘拐といった凶悪犯罪が急増しており、現在も増加の一途をたどっています。これらカンボジアの犯罪の特徴として、銃器が使用されることが挙げられます。

万が一、強盗の被害に遭った場合には、犯人の要求に応じることが重要です。犯行時には、犯人も極度の緊張状態にあるので、抵抗するような素振りも見せると犯人が発砲する可能性があるので絶対に抵抗しないでください。

■ カンボジアの歴史

9-13世紀 現在のアンコール遺跡地方を拠点にインドシナ半島の大部分を支配する。
1884 フランス保護領カンボジア王国。
1953 カンボジア王国としてフランスから独立。
1970 反中親米派、シハヌーク政権打倒。王政を廃止しクメール共和国樹立。
親中共産勢力クメール・ルージュ(ポル・ポト派)との間で内戦。
1975 クメール・ルージュが内戦勝利。民主カンボジア政権樹立。
同政権下で大量の自国民虐殺。
1979 ベトナム軍進攻でクメール・ルージュ敗走。新ベトナムのプノンペン政権擁立。
以降、プノンペン政権と民主カンボジア三派連合(クメール・ルージュに王党派、共和派が加勢)の内戦。
1991 パリ和平協定。(92年~93年日本初の国連PKO実施)
1993 国連監視下で選挙、王党派フンシンペック党勝利。新憲法で王制復活。ラナリット第一首相(王党派)、フン・セン第二首相(人民党:旧プノンペン政権)の2人首相制連立政権。
1997 首都プノンペンで両首相陣営武力衝突。第一首相失脚。
1998 総選挙。第一次フン・セン首班連立政権。
2003 総選挙。1年後の04年7月、第二次フン・セン首班連立政権発足。
2004 シハヌーク国王引退、シハモニ新国王即位。