Study Tour報告 2015年夏

2015年8月10日から18日までカンボジアスタディツアーを実施しました。
今回の参加者は。「ぬいぐるみ」の作者のTakuさん(東京より)、神戸学院大学2回生、3回生、4回生の3名、コーディネートの鈴木さんとそのちびっ子ちゃんたちです。
NERCの活動サイトで、カンボジア人スタッフと交流したり、子どもたちとサッカーをしたり、図書館整備を手伝ったり、子どもたちと音楽やゲームをしたりしてきました。また、石川さんが、自分で作成したオリジナル絵本を現地の子どもたちに寄贈されました。さらに、カンボジアの歴史を学ぶためツールスレン博物館/キリングフィールドに研修に行き、カンボジアの悲惨な過去を知ることができました。

 

NERC JOURNAL 2015.3 Vol.12,13 No.1

nerc1213
◆論文
米国外交と危機管理の態様 -1
―トルーマン政権とG.W.ブッシュ政権から―
須釜 幸男

いのちのゆらぎ(2) -11
―出生前診断における「いのちの選別」をめぐる倫理的考察の分析―
平光 哲朗

武士道にみる社会貢献の思想 -27
前林 清和

写真修復による東本大震災への支援 -37
―「あなたの思い出まもり隊」の活動記録を中心に―
石田 真愛

Study Tour報告 2014年春

今年の春に1週間ほどのカンボジアスタディツアーが行なわれました。今回の参加者は浜松大学の大学生7名、大学院生1名と教員1名、合計9名が参加しました。

スタディツアー報告のレポートを読ませていただきました。みなさんは村の子供たちやカンボジアの大学生などと楽しく交流ができたようです。
学びというのはどこでも、誰にでも、学べると言われています。確かにその通りだと賛成します。学ぶというのは学校現場においてだけでなく、場所は限らず、 さらにどんな時でも学ぶことができます。また、学校の環境と違って外国人の学生といった交流スタイルではカンボジアの子供たちの成長にも意味があるのではないかと思います。

(文章:コン・エン)

 詳しいレポートはこちらです。

「フラッグフットボール港島カップ」

今年の2月16日(日曜日)、神戸学院大学の所属であるアメリカンフットボール部「ネイビーシールズ」メンバーの指導によって「フラッグフットボール港島カップ」が第5回チャリティとなり、神戸学院大学のポートアイランドキャンパスで行われました。

今回の試合は両親たちの見守りの中、約170名の小学生が参加しました。寒さに負けずに、小学生たちは元気で試合を楽しんでいる姿を見せてくれました。また、半袖のT-シャツと短いパンツの小学生の姿は少なくありません。

「本学が地域貢献の一環として、子供たちにスポーツのすばらしさや楽しさを知ってもらうために企画実施いたします」というのが本チャリティの目的だそうです。

開会式を終えた直後、昨年カンボジアから来日したタイ・キムホーンさんによって、カンボジアについての簡単なプレゼンテーションを10分間子どもたちに紹介されました。子どもたちは静かに真剣に聞いていました。そして、お父さんお母さんたちもプレゼンテーションに対して、興味を持ったようでした。

本チャリティの試合以外では、家庭で眠っている絵本を寄付してくれるよう呼びかけています。参加者は使えなくなる絵本を持参してくれました。そして、神戸学院大学ボランティア活動基金(VAF)を通して、集まった絵本がカンボジアの子どもたちに届きます。

参加させていただくことによって、私の思いも強く感じました。スポーツ分野がまだ盛んでないカンボジアでは、子どもたちにこういった体験をさせる機会がまだわずかです。学校教育では、運動会という言葉すらあまり耳にしないものです。また、部活動というのも存在しないと言ってもおかしくないでしょう。カンボジアの学校教育はどんなものなのか、簡単に言いますと、授業の時間が終わって、それぞれ自宅でお昼ご飯をとって、希望によっては午後から塾勉強をします。つまり、部活動の時間は存在しないわけです。カンボジアの文部省はこの点に関して着目し、そして見直すべきだと思います。

最後になりますが、私たちを一緒に同行させていただいた甲斐正一先生に感謝しています。私たちは母国語ではない日本語で伝えることはなかなか想いどおりに伝えられないのが事実です。しかし、少しずつカンボジアという国をみなさんに知ってもらいたいのは私たちの願いです。そして、カンボジアの子どもたちと日本の子どもたちが将来お互いに交流できたらもっとうれしいです。

(文章: コン・エン)

(写真: 神戸学院大学のFacebookページより)

(写真: 神戸学院大学のFacebookページより)

タイ・キムホーンさんによるプレゼンテーション (撮影:コン・エン)

タイ・キムホーンさんによるプレゼンテーション
(撮影:コン・エン)

 

 

“色鉛筆が村の子供たちに届く”

チョムリアップ・スオ

(チョムリアップ・スオはクメール語で「こんにちは」という意味です。)

神戸に本社のある株式会社フェリシモさんから2000本程度の色鉛筆のご支援をいただき、その中から昨年(2013年)の春に500本を村の子供たちの手に届けました。

カンボジアでは、義務教育を受けるにも経済的な面で困っている子供たちが沢山います。義務教育とは学費を払わなくていいと思っている方がいらっしゃるかもしれません。しかし、文房具、教科書、制服等々には個人でお金を払わなければなりません。つまり、学校で勉強をするには、学費以外にこういったものが子供たちには大切であります。この大切なものを頂けたということは、カンボジアの子供達にとって非常に嬉しいことでした。

今回、私たちは、株式会社フェリシモさんからいただいた色鉛筆500本を直接村の先生に渡しました。下記の写真は子供たちが色鉛筆で絵を楽しんで塗りつぶしている様子です。現在、Kandal州にある(プノンペン首都から車でおよそ1時間離れている)4箇所の村で移動図書館の活動が行われています(図1)。塗り絵をしたり、 絵を自由に描いたりする時間が移動図書館のプログラムに導入されています。このような時に子供たちが色鉛筆で楽しめます。

色鉛筆一本は使われていなければ単なる一本の色鉛筆。しかし、子供たちにとっては大切で、大事な一本の色鉛筆になると言えるでしょう。子供たちが色鉛筆でカラフルな将来を描いています。きっと彼らにはすばらしい夢があるのでしょう。彼らの将来がどのようになるのか楽しみです。

女性への教育の必要性を訴え、世界的に有名なパキスタンの少女であるMalalaさんが言っています。“One child, one teacher, one book, one pen can change the world.”。そこから私はこのような言葉を作ってみました。子供たちに一枚の紙と色鉛筆を渡すことによって、笑顔とクリエーティビティーが生まれる。と。

ご支援をしていただき、ありがとうございました。

(文章:コン・エン)

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図1

図1

神戸学院大学の大学生にカンボジアについてのプレゼンテーション

2013年12日5日に私は水本先生の担当である地域学演習Aの授業で私の母国であるカンボジアのことについて、2回目のプレゼンテーションをさせていただきました。

私が話をする前に、大学生たちにカンボジアに対するイメージを聞きました。カンボジアは貧しい国、学校に行きたくても行けない子供たちがいっぱい居る国、地雷、等々というイメージを持っている学生が多かったことがわかりました。一方、その中で、世界遺産であるアンコールワットが位置している国だと知られています。

今回のプレゼンテーションはカンボジアの歴史を大きく変化させたポルポト政権の時代、そのなかでも、教育分野を中心としてお話をさせていただきました。そし て、最後のプレゼンテーションはカンボジア人がどのように生活をしているのかを少し紹介して、プレゼンテーションを終わらせていただきました。

では、ポルポト政権はどんな時代なのか、ご存知な方がたくさんいると思います。私はその時代に生まれていたわけでもないので、私が学んできたのと、私の両親から聞いた話から伝えたいと思います。

ポルポト政権は1975年4月17日にカンボジアを支配しました。支配した数日後、2百万人のカンボジア人が都会から追い出され、農業をさせるために田舎へ移されたと言われています。貧富のない、搾取のない、さらに無階級社会に変えるため、都会に住んでいる人たちを田舎へ移すのが目的でした。お金、フリーマーケット、学校、私有財産、外国風の服装、宗教の信仰の自由も無くされました。校舎、大学、お寺、教会、政府の建物などは刑務所、再教育収容所に変わりました。例えば、Toul Sleng虐殺犯罪博物館。ポルポト政権が終わってから現在まで、虐殺犯罪博物館として使われていますが、昔は高校だったそうです。ちなみに、再教育という言葉を聴くとき、みなさんはどう思いますか?

学校に行かせる、あるいは現代の話と言えば、研修・トレーニングを受けさせると思ってしまうかもしれません。実は、あの時代で○○さんは再教育させられていると言われたら、何かの疑いで殺されるという意味をさしていたようです。

ポルポト政権は1975年に始まり、1979年まで続きました。その3年8ヶ月間はカンボジア国民にとって壁のない刑務所にいたと呼ばれています。国全体 は刑務所のようになりました。涙、苦しみ、不公平、悲劇、血だらけの生活でした。一日に12時間以上働かされて、食事はお米がほんの少ししか入っていない、水がほとんどのようなおかゆだけでした。私の両親の話によると、あのときの一日一日が長かったと。働く時間が長いのに、食糧が足りなかったと。さらに、ポルポトがあったため、学校に行けなくなってしまって、今でも後悔していますと言っています。さらに、精神的に多くの人々の心にいやなこととして残されています。

ポルポトの時代はカンボジアの歴史から取り消すことができないのですが、あの時代にもう一度ならないために、まずは教育が重要だと思っています。

現在、ポルポト政権にかかわっている人たちの裁判が行われているのですが、公平な裁きは、まだ遠い存在の恐れがあります。なぜなれば、裁かれている人たちは日々年を取っているにもかかわらず、裁判するのに大変な時間をかけすぎています。一日でも早く裁判が進行するように祈っています。

(文章: コン エン)

 

夏ツアー2013年

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